なぜ生産性が向上しているのに個人はかえって苦しくなるのか?

サピエンス全史 上 ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之訳)  ①

「進化上の成功と個々の苦しみとのこの乖離は、私達が農業革命から引き出しうる教訓のうちで最も重要かもしれない」

この本の上巻のひとつのハイライトはここだろう。

 

多くの人が、農業革命が我々にもたらしたものは、良いことばかりだったと信じているかもしれない。

食料をもたらし、文化をもたらし、工業化を支えたと。

 

確かにそうした面があることは否定できない。

ただ、本当に両手を挙げて歓迎するものだったのか、と疑問を呈する視点は新鮮だった。

 

いわれてみれば、そうだ。

農業革命後の人類の歴史は、各人の身体への負荷の増大、数多くの飢饉、戦争の繰り返しだった。いまの日本にいると、飢饉や抗争の実感は乏しいので、疑いにくい。

それが狩猟採集時代と比較するとみえてくる。

 

・稲作のために長時間にわたって腰をかがめる必要もなく、健康を維持しやすかった

・少なくとも単一の食糧源に依存していなかったので、旱魃の害に抵抗力が強かった

・膨れ上がった穀倉を狙う盗賊や敵への警戒も不要であった

 

狩猟時代の方が、働く時間が短く、それなりに豊かだったという指摘は驚きだ。

 

「食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。」

ハラリ氏はここまでいっている。

 

確かに人口は増えたから、種としての進化上は成功したに違いない。しかし、個々人の幸福はむしろ失われてしまったというのなら、なぜ英明たる個々人の集合体である人類は、これを止められなかったのか?

ハラリ氏は、「人類は、自らの決定がもたらす結果の全貌を捉えきれないからだ」と説く。

 

さしずめ、当時の農業の導入による生産力の向上は、

現代的には、次のようになるのではないか。

株式会社での知的労働(デスクワーク)による生産性の向上に伴う、

・目や腰の負担の増加、

・コミュニティの衰退、

・富の偏在

種としての進化を科学の力が飾り立てていたとしても、個々の人間の幸福を犠牲にしている側面は否定できないように思える。

 

デスクワークに伴う腰への負担という例をひとつとっても、

勤勉な日本的労働観からすると、そんなことは大したことではない、と多くの人が是認している。

だが、社員の幸福をもミッションに掲げるGoogleは、座って仕事をしている時間が長いことを解決すべきこととして捉えていたりする。

さすがのスケールのでかさである。

 

農業革命の当時の人類は止められなかったかもしれないが、現代的な変化がもたらす個々人への負担を減らす方法を、今の我々には、見つけられるのではないだろうか。

 

一度、立ち止まって考えてみてもいいのかもしれない。